君たちはどう生きるか
久しぶりのブログ更新になります。
今回は、1937年に出版され、2018年に漫画でもリメイクされた「君たちはどういきるか」について【要約】していきます。
時代を超えた名著だと思います。現代を生きる私たちが、何を学べるのか…
知っている方や読んだ方は、ご自身の解釈との違いを楽しんでもらえると嬉しいですね。
今回は、ストーリーには触れずに、エッセンスを3点に絞って抽出してみました。
著者プロフィール
1899年東京府生まれ。
児童文学者、編集者、評論家、翻訳家です。
戦前から一貫して、反戦で平和主義者でした。1931年に治安維持法で逮捕されて、刑務所で1年半ほど過ごされています。
釈放後、新潮社「日本小国民文庫」の編集を担当されています。
1945年に雑誌「世界」の初代編集長を務めています。
主な著作に「人間の尊さを守ろう」「エイブ・リンカーン」があります。
「君たちはどう生きるか」の3つのポイント
本書のタイトルだけを見ると、具体的に生き方の指針を教えてくれるものかと思いますね。こうあるべきだというメッセージ性の強い著作だと思って手に取る方もいるでしょう。
ところが読んでみて「違う」とわかりました。
本作品は、一貫して「君たちはどう生きるか」という疑問を読者に投げかけてきます。
明確な回答を求めるというより、問いに向き合う姿勢の大切さに気づかされます。
読む人の数だけ解釈があると思いますので、学ぶことも読む人の数だけあると思います。読む度に違う解釈もできますので、読む回数だけ気づきがあるかも知れません。
私は、本作品を読んで3つの大きなポイントがあると感じましたので、今回はそれを書いていきますね。
・個人と社会、部分と全体
・真実とは何かを探求する
・過ちや悩みを理解する
個人と社会、部分と全体
主人公は、中学生の潤一くんです。叔父さんに、あだ名「コペルニクス」をもらい、コペル君と呼ばれています。
コペル君は、学びました。
これは、1937年当時の街並みをみて感じたようです。
2021年の現代でも、同じことですよね。
個人と社会
コペル君は、人体もこの分子からできていると考えました。
人間社会も同じで、社会を分解していくと、一個人にたどり着くと考えたのです。これは、自分を「社会の中心」と置いた考え方から、社会全体としての「部分の自分」という展開です。
まるで、地球の周りを太陽が回っている「天動説」から、太陽の周りを地球が回っている「地動説」を提唱したコペルニクスのようです。
するどいですね。このエピソードから、あだ名を「コペル君」とされたのです。
なかなか優秀な中学生だなぁと感心しました。私たちも、コペル君のように、大きな視点をもつことができる柔軟な思考を持ち合わせているんですよね。
きっと。
粉ミルク
コペル君は、自宅にある粉ミルクの缶を見て考えました。
粉ミルクに関わる、ありとあらゆる繋がりを細かく考えてみたんです。
その粉ミルクは、オーストラリアの牛乳から作られていました。オーストラリアから畜産に関わる人の手を経て、商品が製造されていきます。
加工食品や製造業に関わる人の手も関係しています。
そこから船に乗って運搬されます。
日本に到着してからも、陸での運搬もあります。
卸売店から小売店に運ばれて、店に並んだものをコペル君のお母さんが購入して自宅に届いているのです。
物質を構成する分子と同じで、目には見えないけれども、その粉ミルクに関わった人は数えきれないほどいるのです。
これは粉ミルクに限らず、日常生活に関わるありとあらゆるものに当てはまるという考えに至りました。
彼は、こんな風に名前をつけました。
このことは正に、私たちが社会で生きるとはどういうことかを一言で表しています。
人間は、一人では生きていけません。
人類が始まってから数万年が経過して、社会がより複雑化していく中で、今の自分の生活が成り立っていることを実感しにくくなっているのかも知れませんね。
多くの人の営みの連鎖の一部で、人生は成り立っている
真実とは何かを探求する
人間の集合体が「社会」です。その中で一人一人が生活しています。
このことに、一体どんな意味があるのでしょうか。
それは、誰にもわかりません。
まして、真実や絶対的な正義というものは、それ自体が危ういもので、幻のようなものではないでしょうか。
冷たい水
とはいえ、真実がわからないからといって、諦めてしまっていいのでしょうか。
それはもったいない気がします。
自分なりの考えでもいいので「真実とはコレなんだろうな」という視点は持っていた方がいいと感じました。
また、その真実を探し続ける姿勢が大切です。
冷たい水は、それ自体には真実はありません。
飲んでみて「冷たさ」を実感して、初めて冷たい水という真実が生まれます。
生きている本当の意味
人間として世の中に生きている本当の意味はどこにあるのでしょう。
そもそも、そのような客観的な意味は無いのかも知れません。
冷たい水を感じたように、自分が自分らしく生きてみて、「これが人生の本当の意味なんだなぁ」と感じとることが真実になるのでしょう。
他の誰かが見聞きしたことを、そのまま鵜呑みにしているだけでは、真実は発見できないという訳です。
他人の目を気にしすぎて生きていることは、自分の真実の探求を放棄している姿なのかもしれませんね。
自分が体験して、心底感じた生の感覚を出発点に、真実を探求する
過ち・悩みを理解する
私たちの人生は、過ちや悩みで出来ていると言っても過言ではないと思います。
そもそも、過ちって何なのでしょう?
悩みって何なのでしょう?
コペル君は、上級生に殴られている友達を助けることができませんでした。
このことを「過ち」として悔やみました。
これは逆を言えば、コペル君の「真実」や「正しさ」がどこにあるかを結果的に示しているのです。
・後悔
・苦しみ
・悲しみ
・辛さ
これらに出会うことは、人間とは何かを示しているというのです。
過ちや悩みに隠れているもの
過ちを悔やみ苦しむことは、生きている間は避けることができないことです。
これは、人間だから味わうことができる感情でもあります。
この裏側に、その人にとっての人間らしさという「真実」が隠れているんです。
ここが重要で、苦しみだけで終わらすのではなく、その苦しみを元に自分らしさを見つける姿勢を保つことが大切なのだと思います。
苦しみの裏側には、自分らしさが隠れている
まとめ
今回は「君たちはどういきるか」について、3つの視点から【要約】してみました。
何度読んでも色々と気づかされる内容でした。
本書は、1937年(昭和12年)に書かれた作品です。
80年以上経っていますが、色あせることない大切なメッセージが込められた作品だと感じました。
冒頭でも触れましたけれども、本書は生き方の指針を教えてくれるものではありません。
本書の題名通り「君たちはどういきるの?」という、読者が「自分で考える」きっかけをくれる作品だと思います。
もし、まだ読まれたことが無い方で、興味がわいた方は本書を手にとって読みください。
2018年にリメイクされた漫画版はこちらです。
では、本日は以上になります。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。
昨日の自分よりも、今日の自分が好きになれますように❤️
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